海と劇場、ときどき本棚

2018年の7月に爆誕した何をするのかを模索しつづける会社「ひとにまかせて」代表のブログです

旅公演の楽しさ

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今週末は茨城県のひたちなか市でお仕事をしています。

最近では少なくなりましたが、一時期は旅をしながらお仕事をすることがよくありました。

東京の劇団の地方公演について回るお仕事。

長いと三ヶ月くらいの旅暮らしになります。

いちばん多い時期だと、一年の半分くらいはホテル住まいだったこともありました。

 

今回の劇場はひたちなか市文化会館。

昔は勝田市文化会館だったと思います。

その頃にも何度かきたことがあります。

あるお芝居のツアーで来たときのこと。

劇場入りした初日、仕込んで本番をして会館近くのホテルに泊まりました。

翌日は夜公演。劇場には16時くらいに入ればOK。

しかしホテルは10時にチェックアウト。

 

時間を持て余した照明チームがどうしたかというと、大道具運搬用でツアーを回っていて、だけど公演のために搬入して空になった2tトラックで近くの海までドライブに行きました。

しかも主演女優も乗せて。

照明部、他セクションのスタッフ数名、そして俳優さん何人か。

もちろん、トラックなので座席に座れるの運転手入れて3人だけであとは荷台。

その頃はまだ下っ端だったぼくは本来なら荷台のはずなんですが、トラックが運転できるのがぼくだけだったので、主演女優さんを助手席に乗せての楽しいドライブになりました。

 

ぼくが若手の頃は、旅公演の合間にこんな感じで遊ぶことはよくありました。

移動日にキャンプ場を探してバーベキューをやったり。

移動の電車のチケットを払い戻しして、レンタカーを借りてドライブしながら移動したり。

いまでは移動日に制作が決めたスケジュール以外で移動することにいい顔をされないことも増えました。

まあわかります。

スタッフみんなでレンタカー借りて移動とか、事故って怪我でもされたら即公演中止になりかねないですから。

プロ意識が足りないと言われると返す言葉はありません。

とはいえ、長い旅だと心のコンディションを維持するのも難しいのです。

だからちょっとした気分転換は大目に見てもらいたいなあと。

 

キャストとスタッフの距離感も変わりました。

東京での公演は期間が長くてもキャストとスタッフが関わることはそれほどありません。

だけど旅公演だと、キャストのみなさんも本番が終わったあと時間があることも多いですし、長い旅を同じスケジュールで回っていると自然と仲間意識が生まれてきたりもします。

以前は、キャストとスタッフみんなでボーリング大会を開いたりとかもよくありました。

移動の電車でキャストとスタッフが隣同士になって話をしたりとかも。

でも、最近はそういうのはあまり喜ばれなくなりました。

キャストとスタッフとの関わりも少なくなってきたし、制作サイドが意図的に関わる機会を少なくしたりもしています。

制作チーム主催でキャストさんとの飲み会とかはいまでもよくありますが、席が分かれていたりして、キャストとスタッフみんなで楽しく遊んだり飲んだりはあまりしなくなりましたね。

いい意味では職分をキッチリ守っているのかもしれません。

見方を変えると、人間的な関係性のない同士で作品を作るのってどうなのという感じもします。

 

もちろん、俳優も舞台スタッフもただの職業です。

その職分をわきまえることも大切。

ただ同時に同じ作品を作り上げる仲間でもあるし、長い旅公演を共にする同士でもあるのです。

数年前に旅公演に参加した作品の再演が決まりました。

旅中に何度か飲みに行った俳優さんからすぐに連絡が。

今回は一緒に行けるのって。

こういう連絡をもらえるのは本当に嬉しいです。

キャストとスタッフの間のこういう距離感はなくして欲しくないなあと思ったりします。

たしかにお仕事ですがただのお仕事ではないんだよなあ。

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ぼくの好きな Empty Ship

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英語のリスニング向上を目指して「白い嵐」という映画を英語字幕で見てみようと思い立ちました。

といってもまだそんなに回数見てないのですが。

ちなみに「白い嵐」はこんな内容です。

 

blog.hitomakase.com

 

これまでも何度か見返してきた作品ですが、改めて何度も見ているといろいろと気になるシーンが出てきます。

せっかくなので、見返すたびにそのときに心に引っかかったシーンやセリフのことを書いてみようかと。

 

The sound of an empty ship.

 今回、心に残ったのはこのセリフ。

クルーの少年たちが上陸して、山に登ってメッセージを書いたノートを埋めるというシーンの後、船に残っているキャプテンに奥さんが話しかけます。

「あなたは上陸しないの」

それに対しての答えは

「君には聞こえる?」

奥さんは聞き返します

「なにが?」

それに対しての答えがこのセリフです。

「誰もいない船の音を」

 

帆船で暮らしていたころがありまりした。

と言っても、職業船員ではありません。

それでも一年のうちで2,3ヶ月は帆船で暮らしていました。

そこそこ大きな船だったので、普段は30人ほどのゲストと10人ほどのクルーで航海していました。

客船ではないので部屋は大部屋。プライベートスペースはベッド一個。

いつも身近に誰かの気配があって。笑い声が絶えなくて。

 

そんな環境がキライではないのですが、例えば船が陸についてみんなが出かけてしまったりとか、沖にアンカーしてみんなはボートで上陸した時。

たまたまそんな船に2,3人だけ残ることがあります。

そんな空っぽの船のことが、実はぼくも大好きだったのです。

だからキャプテンの「The sound of an empty ship」という言葉が心に残ったのです。

 

いつも誰かがいた食堂やデッキから人影がなくなり、普段賑やかな船から人の気配が消える。船は泊まっているので働くクルーの姿も見えない。

帆船という非日常な乗り物の非日常な時間。

普段とはまるで違って見える空間。

よく知っている場所、さっきまではいつも通りだったのが、ただ人がいなくなっただけでまるで違う横顔を見せる。

「empty ship」 がかもし出す不思議な時間。

 ほんの少しだけいつもとは違う空間で過ごすことは、ぼくには特別に贅沢な時間だって感じられたのです。

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感情や関係性を照明で表現する

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舞台照明デザインについてもう少し書きます。

これまででいちばん尖った照明デザインをしたのは、5年ほど前にやった「モグラのヒカリ」という作品でした。

なんども一緒に作品を作ってきて、かなり信頼してもらっている演出家さんとのお仕事だったので、少し攻めてみようと。

そしてこの時期、ただ同じような仕事を繰り返すことに少し疑問を感じている時期でもありました。

そんなこともあって、チャレンジできる環境が揃っていたこの作品はいつもと違うものにしたいと思ったりもしていたのです。

 

このお芝居、主人公は目の見えない小説家。
人気タレントでもある彼と周囲の人々との関係性が物語の核になります。

一見、彼のことを丁寧に扱っているようにみえる周囲の人々ですが、それはあくまで仕事の上での関係性。

彼のことを心から大切に思っている人は誰なのか、みたいなお話。

 

目の見えない主人公の存在と周囲の人たちとの距離感を表現するために、ちょっと変わった照明デザインを考えました。

主人公が舞台上にいるあいだは、舞台上が茶色い光に包まれるというものです。

目が見えない彼と周囲の人が見ている、感じている世界の違いを光の色合いで表現したのです。

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同時に、周囲の人との距離感の変化でも舞台の色合いが変わっていきます。

周りの人の意識や興味が主人公から離れていくと、その人の周辺はリアルな色合いに変わっていきます。

主人公と周りの人が本当の意味でつながっている間は舞台全体が茶色い非リアルな色合いで染まりますが、関係が途切れると主人公の周りだけ彼の色が残り、他の部分は現実的な見え方に戻ってしまいます。

これは一般的演劇の照明デザインとは少し違うやり方です。

普通は時間や空間というリアルや要素をベースに明かりを決めていきます。

けれどその作品では「感情」と「関係性」をメインに考えて照明をデザインして行きました。

その時の演出家の作品は、一見リアルで当たり前の風景のその奥にどこか不思議な雰囲気、違和感、人間の妄執みたいなものが隠されているものが多いのです。

「モグラのヒカリ」もそんな普通の奥に潜んでいる笑いや悲しみをとても繊細に取り扱っう作品だったので、リアルな感情と隠された不合理な気持ちを見ている人に感じてもらいたくて、そういう照明デザインにしてみました。

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下手側(写真左)と上手側(写真右)、同じ空間や時間軸だけど感情の方向性で違う見え方をしている


照明デザインの出来は個人的にはとても満足しているし、自分のやりたいことができたなあと思っています。

でも観た人にとってどうだったのかはいまだにわかりません。

照明について言及していた人があまりいなかったので、そういう意味では成功だったのかもしれません。

演出家にも照明デザインの意図と具体的なディレクションについて事前に説明して、リハーサルでチェックしてもらったうえでOKはもらっているので、作品から外れてはいないとは思うのですが。

 

それでも、ぼくの意図が見ている人に伝わったかどうかはわかりません。

というかおそらく伝わっていません。

どっちかというと伝わらないほうがいいと思ってたりもします。

ぼくの狙いや表現が観客に印象には残らず、それでいて作品そのものの印象が心に残る手助けになる。

そんなのがぼくが思う理想の照明デザインです。

その理想のなかで最大限攻めてみた、強い表現にチャレンジしてみたのがこの作品だったのです。

 

この作品の映像は残っていません。

最近のお芝居はDVD化することを見越して撮影してもらうことが多いのですが、この企画は一度きりの特別なものだったのでDVDを販売する予定がありませんでした。

またDVDを作る予定がなくても、資料用に撮影することがほとんどなのですが、様々な事情でそれもなかったのです。

なので、この作品を見ることはもうできません。

言葉で照明デザインを語るのは難しいし、写真で一瞬だけを切り取っても違う伝わり方をしてしまいます。

劇場で観てもらうのが一番なのですが、それが無理ならせめて映像で見られればいろんなことが伝わるとは思うのですが。

作品としてもとても素敵だったし、出演者もみんな魅力的な素晴らしい作品だったのでとても残念なのですが、そんなもったいなさもまた「演劇」なのかなとも。

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はみ出す俳優

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昨日のブログで書いた「舞台照明デザイン」についてもう少し具体的に書いてみようかなと思います。

2017年の12月に日本スタンダップコメディ協会会長、清水宏さんのトークライブの照明デザインをやらせていただきました。

清水さんは大学時代からの知り合い。

俳優のような、芸人のような、なんか世間のカテゴリーには収まらない活動をずっと続けてらっしゃいます。

最近では海外で地元の言葉でコメディーをやるというのをライフワークにしています。

これまでもイギリス編やアメリカ・カナダ編の凱旋ライブの照明をやらせてもらってます。

他にも中国とか韓国でねライブをやっています。

そしていまはスタンダップ・コメディという日本ではあまり馴染みのないジャンルを主戦場に定め、日本スタンダップコメディ協会を立ち上げて周囲を巻き込んでライブを企画ししています。

今回はそのロシアからの凱旋ライブでのお話。

natalie.mu

このライブは清水さん一人しか出演せず、ただひたすらしゃべりつづけるだけの構成なので、お芝居などと違って照明もそれほど変化させたりすることもなく、ただ出演者が明るく見えるようにしてあるだけでした。

まあこの「変化しない」「ただ明るくするだけ」を決めるのも照明デザインではありますが。

 

二日間の本番の初日を照明ブースから見ていると、清水さんの移動範囲がぼくがイメージしていたのよりもかなり客席寄りになっていました。

普通、俳優さんやコメディアンの方は舞台の客席よりギリギリまでは使いません。
舞台は明るくて客席は暗いので足元が危ないからです。
また舞台前ギリギリだと照明の照らす角度がよくなかったり、当てられる台数が少なくなったりで少し暗くなってしまうからです。

しかし清水さんは、熱量高く演じるタイプ。
リハーサルのときはそうでもなかったのですが、本番になると動きが変わってきて、舞台の踏面ギリギリまで出てきて、前のめりにお客さんと相対してしゃべります。

当然、姿勢によっては時々顔への照明が少し暗くなる瞬間が出てきます。
シーンによっては明るくなったり暗くなったりを頻繁に繰り返してしまっていました。

これはかなり見にくいので本番が終わったら暗いエリアをフォローするライトを追加しようと考えて、サポートで呼んでいた照明さんに本番終了後の作業内容を指示しました。

 

けれど5分ほど見ていて気が変わりました。
普通の俳優さんはそういうところには立たないのです。
そこまで前のめりにはならないのです。
だけどそこを外れてしまうのが、エリアからはみ出してしまうのが清水宏さんというアーティスト。

彼が動くエリアを全て同じような明るさにするのは技術的には簡単ですが、エリアからはみ出す清水さんのエネルギーを視覚的に表現するにはあえて暗い場所を残しておいたほうがいいんじゃないかと。
むしろ観客に違和感や見にくさを感じてもらったほうが清水宏の生き様が伝わるのではないかと。

 

そう考えてさきほど出した指示もキャンセル。

理由を話すと照明チームのみんなは納得してくれました。

まあそんなことはお客さんには関係ないのかもしれません。

もしかすると顔が暗くなって見にくいと思った人がいたかもしれません。

でもそういうことじゃないんです。

ただ明るくするだけじゃなくて、暗さを残すこと、明かりが当たらない場所をつくること。

こういうのが舞台照明デザインです。

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ビジュアルと時間を操る仕事

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「何やってる人か説明しにくい」と言われたぼくですが、せめて舞台照明家とはどういう仕事なのかは説明できるようになりたいなあって思ってます。

これはこれでなかなかめんどくさいのですが。

先日、舞台業界ではない人たちと話していて、
「映画のゴッドファーザーではわざと真上から照明を当てて、人の目元を影にしたんですよね」って言われました。

初耳だったので調べてみたらwikipediaにも出てるくらい映画関係では有名なエピソードみたいでした。なるほどー。

これ以降、映画の世界ではこうした効果を狙ったライティングが流行ったとも。

 

ゴッドファーザーについては知りませんでしたが、外国映画だとこうした人の表情は見づらくなっても印象的なライティングはよくあるなあと思っていました。

日本の映画だとコントラストがあまり強くなくて、俳優さんの表情が見やすいライティングが多いなあとも思っていたので、そういう話をしてみたところ、その場にいた人には割と納得してもらえました。

そういう効果はいまの舞台照明でも同じように使われています。

 

照明にはいくつかの要素があります。

光の明るさ。

色。

方向性。

ゴッドファーザーはそのなかの方向性で表現するお話でした。

人に対してどういう方向から光が当たるかで、まるで印象が違って見えます。

もちろん色や明るさによっても雰囲気は変わります。

光源も1ヶ所ではなくいろいろな方向から光を当てていきます。

そしてそれぞれが違う色と明るさ。

シーンごとにそのバランスをどう変えていって、舞台の印象を変えていくのか。

何をどう見せるか。

もしくは何を見せないか。

作品を客席に届けるにはどうするのがベストなのか。

それを考えるのが照明デザインです。

 

なかなか存在を知られていない舞台照明家ですが、最近めずらしくネットの記事になっていました。

吉井澄雄さんは現代の舞台照明の礎を築いた方。

昨年、自伝的な本が出版されたのでそれにまつわる記事でした。

 

記事のなかで吉井さんのこんな言葉が紹介されています。

「舞台上に流れる演劇の時間をコントロールするのが照明です。これは舞台装置や衣装にはもちえない、舞台照明だけに許された特権です」

 

さすが、ぼくがずっと意識していてうまく言語化できなかったことを過不足なくキッチリと説明してくださるお言葉です。

照明の表現によって、作品が観客に届きやすくするにはどうすればいいのか。

役者が魅力的に見えためにどうするのか。

 そんなことを考えながら照明をデザインしていきますが、それぞれのシーンの見え方だけではなくて、作中の時間軸のなかで舞台をどう見せていくのかということが一番大切。

ぼくはそう思います。

ビジュアルと時間の2つの要素を使って舞台を彩る。

それが舞台照明家という仕事じゃないかなあと。

ほかにもいろいろと書いてみたいことがあるのですが、それはまた次の機会に。

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「なにをしている人かわからない」って言われた

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友達に「他の人になんて紹介したらいいのかわからない」と言われました。

確かに。

そもそもフリーランスでいまは会社経営だけど、どういうジャンルで暮らしているのと言われるとなかなか説明が難しい。

一番わかりやすい肩書で収入のベースになっているのは「舞台照明ディレクター」だけど、すでにこの仕事が普通の人には全くイメージしてもらえない。

それ以外に「帆船乗ってます」とか「船乗ってます」とも言うけど、これもわかりにくいしいわゆるプロ船員でもないので、説明がものすごくめんどくさい。

この間は、「わかりやすく言うと、帆船で大西洋を横断したことがあります」って説明したけど、ちっともわかりやすくないよね、これ。

このジャンルでも自分がやりたいことをひとことで表す肩書を考えてて、最近では「航海デザイナー」って試しに言ってるけど、どうしようもなく胡散臭い。

そしていま本屋を始めようと準備してるんです。

初対面でそんなこと言われてもなんだかわからないよね。

逆の立場なら絶対に!?ってなるわ。

 

これはパラレルキャリアってやつかと思ったんだけど、パラレルキャリアは夢や社会貢献のためのもので収入を得ることが目的ではないらしい。

まあ夢の実現ではありますが、収入も得たいんですよね。

海とか本とかでも。

まあ舞台も海も本も、パラレルキャリア的なものをひっくるめて事業化することを目指して会社を設立したんですけどね。

今年は舞台照明以外でもちゃんとお金を稼がないと…

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前に進みたいのなら

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20歳くらいのころから舞台照明に関わってきて(最初はプロではなかったけど)、自分が一人前になったなと思ったのは40歳くらいだった。

もちろん、それまでも普通の仕事は頼まれていて、照明の仕事だけで十分生活してくことはできていた。

師匠や指導してくれる先輩がいない立場でずっと仕事を続けていた。

何をやるにもいわゆるカンがいいタイプではなく時間がかかる。

仕事が途切れないことだけがプロとしてやっていけることの証明で。

実際に仕事はずっと舞い込んできていたけど、自分の技術や判断に自信が持ちきれないままキャリアを重ねていた。

基本的に自己評価の低い人。

いつも周りと自分を引き比べて不安になる。

それはいまでも変わらない。

 

それでもこの歳になれば、舞台の仕事だけを続けていればそれほど思い悩むこともなかったのかもしれない。

重ねた時間は嘘をつかない。

しばらく舞台から離れていても、劇場に入れば体も頭も勝手に動いてくれる。

でも違う場所でも何かがしたいと思ってしまったから。

またいちからやり直し。

うまくできないことやわからないこともたくさんあって、周りの人がまぶしく見えてしまう。

20代の時と違っているのは、体力とか集中力とかそんなわかりやすいことだけではなくて、あのころのぼくは何もできなかっけどそれでも使ってくれた上の人たちがいたし、一緒に走ろうと誘ってくれる仲間もいた。

いまのぼくが一番手に入れにくいものはそういうものなのかもしれない。

それでもいまでもぼくに期待してくれる人もいるし、自分が前に進みたいのなら歩き続けるしかない。

自分がちっぽけなことを毎日思い知らされ続けても。

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わりと他人事じゃない気もします

f:id:tanaka-B-toshihiko:20190222105331j:plain柏まで映画を見に行きました。

どうしてわざわざ柏まで行ったかと言うと、関東でこの映画を上映している映画館が柏と小田原しかなかったからです。

マイナーな作品なので仕方ないですけど。

 

「喜望峰の風に乗せて」は2017年に作られた実話を元にした映画です。

1968年に開催された単独無寄港世界一周レースとそこで起きたある事件について描かれています。

イギリスでは1996年にフランシス・チチェスターが史上初めてシングルハンドでの世界一周(シドニーに一度だけ寄港)を達成してナイトに列せられたことから外洋航海に注目が集まっていました。

何人かのセイラーが単独無寄港での世界一周航海へのチャレンジを計画していた最中、チチェスターのスポンサーでもあった高級紙サンデー・タイムズは「ゴールデン・グローブ」という単独無寄港世界一周レースを開催したのです。

ちなみにこの時点で達成者はゼロ。

世界初の名誉と現在の価値で4000万円ともいわれる高額の賞金で世間の注目を集めていました。

 

映画の主人公は週末にヨットを楽しむくらいで外洋航海の経験もないアマチュアセイラー、ドナルド。

航海計器の販売会社を営んでいたものの経営は苦しく、自分が開発した機器と会社のPRのためにレースに参加したのです。

船を作る段階からいくつもの問題が発生して予定は大きく遅れ、スタート期限ギリギリに準備が不十分なままドナルドは長い航海に乗り出すことになりました。

当然、航海はトラブル続き、船体にも不具合が次々と見つかります。

このまま航海を続けることはとても難しいけれど、レース資金を得るために会社と自宅を抵当に取られているために、航海を辞めてしまうと破産してしまう…

進むことも戻ることもできないなかで彼が選んだのは航海記録の偽装。

危険な南氷洋に乗り出すことなく南大西洋で時間を過ごして、他の船が戻ってきたのを見計らってレースに復帰するというもの。

けれど海の上で良心の呵責とともにひとりきりで過ごす時間は徐々に彼の精神を蝕んでいきます。

レースが終盤に差し掛かったころ他の参加者のリタイアもあり、彼がレースに優勝してしまう可能性が出てきてしまいます。

自分の不正が露見してしまう恐れから彼はますます苦しみます。

船はイギリスに近づき、陸に帰ることが現実になろうとしたころ、彼の船からの連絡は途絶え、無人で漂流する彼の船が発見されました。

ドナルド本人はいまもって行方がわかりません。

 

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映画は悪くはありませんでしたがそれほどよくもない気がしました。

レースが始まるまではとても緻密な印象で彼がレースに出るまでの心の動きが丁寧に描かれています。

航海中の船上での描写は、ヨットに乗っているぼくから見てもとてもリアルに感じられました。

ただ、ドナルドの心が追い詰められていく後半は少し肩透かしな印象も。

とはいえ、無線を切って周囲との連絡を絶って、狭いヨットにひとりでいるというシチュエーションだと表現が難しいなあとも感じました。

観る前、そして前半を観ている間も、これ後半どう描くんだろうと思っていたのですが、ある意味では想像していたレベルよりも悪くも良くもなかった。

そこが少し不満と言えば不満です。

 

興味深かったのは、主人公と社会との関係性がいまの世の中にも十分当てはまること。

(意図的にそう描いていたのかもしれませんが)

 

レース前、スポンサーや協力者を募るなかでヨット経験が浅いことを指摘された主人公は、

「単独無寄港世界一周はこれまで誰もやっていないのだから、経験値は横一線」

「週末セイラーの自分だからこそ、達成したときの注目度は計り知れない」

と反論します。

そしてPR担当として雇ったジャーナリストは捏造スレスレの記事で彼をブランディングしていきます。

実際にはヨットの建造は遅れ、船体には不具合や未完成な部分がいくつもあり、装備するはずだったオリジナルの機器や安全装置は間に合いませんでした。

出航期限の前日、ヨットビルダーからは準備不足から棄権を進められます。

彼自身も航海への不安を感じていたのですが、航海についてはなにも知らないスポンサーやジャーナリストからの説得に応じて、危険な航海に乗り出してしまいます。

航海の途中、船のトラブルと技術不足から航海距離が伸びないことに悩み、航海記録の偽装を始めるのですが、それは当時の世界最高レベルというあまりにも非現実的な速さだったのです。

そのことが人々の期待をあおり、洋上にいる主人公の預かり知らないところで大きな盛り上がりをみせてしまうのです。

 

自分を大きく見せるための景気のいい言葉。

リソースを最大限に大きく見せるブランディング。

そして行き過ぎたPRから生まれる葛藤。

 

最後には大きくなりすぎてしまった嘘の自分を引き受けられなくなっしまった彼の末路は、現代でもどこにでもある物語なのかもしれません。

あんまり他人事にも思えないところもありまして。

そもそも準備不足のまま危険な航海に乗り出してしまったことが大きな間違いですし、それを修正することができないまま嘘を重ねてしまったことも問題です。

でも、すくなくともぼくには彼を責めることなんてできない気がします。

期待やしがらみのなかでいつでも正しく選択を続ける、そんなことができる人なんてごく少数。

 

準備中から「いつでも辞めればいい」といい続け、レース中も「栄誉なんてなくていい、ただ無事に帰ってきてくれれば」と語り続けた彼の奥さん。

主人公は壊れゆく精神の中で彼女の幻想と語り合い、通信状況の悪いなかでなんとか彼女と連絡をとろうとします。

この映画の原題は「The Mersy」日本語だと「慈悲」

どうしてそういうタイトルにしたのか、少なくとも日本語のタイトルよりはずっとしっくりくる気もします。

すべてを投げ出して奥さんのところに返ればよかったのに。

それができなかったのが彼の最大の失敗で最大の悲劇だった、ぼくはそう思うのです。

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やりがいを搾取されてきて30年経ちましたが、

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最近、こんなニュースがありました。

news.livedoor.com

実は、直接、間接にお仕事で関わりのある事務所さんです。

個人的に面識のあるプロデューサーさんも何人もいるので少し言及しにくいのですが、この会社だけの話だけではないし、単純にいいとか悪いとか決めつけられることでもないので少し書いてみたいと思います。

 

リンク先の記事では詳しく書かれていませんが、裁量労働制を適用しながら実際には上司から労働時間などの指示を受けていて、結果的に長時間労働なのに残業代が支給されない状況だったことを労基に訴えられたという顛末だそうです。

確かに、問題のある労働環境だったとは思いますが、たまたまそのことをアピールした人がいたからこの会社が問題になっただけで、まあこの業界、長時間労働が常習化してしまっています。

そしてそれに対して必ずしも正当な対価が支払われているわけでもありません。

 

これは上流の制作会社、芸能事務所からウチラみたいな下っ端の技術屋さんまで、エンタメ業界全体の宿痾みたいなものです。

普通の会社というのは基本的にはお金を稼ぐためにみなさん働いているのだと思います。

職業的なプライドはあるとは思いますが、自社の取扱製品に職業意識を超えた愛着を持っている人は少ないのではないでしょうか。

一方で、芸能関係で働く多くの人は自分の仕事に特別な愛情や思い入れを持っていることが多いのです。

意識しているかいないかにかかわらず、業界、あるいは会社やそのなかのある部署全体がそういう雰囲気に染まってしまっていると、いわゆる「やりがい搾取」状態になってしまうこともよくあります。

ぼく自身についての個人的な感想だと、自分みたいな人間がこの歳になってもなんとかこの世界で仕事をさせてもらえているだけでありがたいと思う気持ちもなくはありません。

確かに、やりがいを搾取されてきたのかもしれませんが、だからと言って、そのことかは必ずしもネガティブな話だけでもないのですけど。

 

もちろん、最近では労働環境についての取り組みはいろんな場面で行われています。

というか、労働時間を短くする工夫や、子どもができてからでも女性が仕事のできる環境を作っていかないと、もう業界全体が回っていかないのではと個人的には感じています。

これまでは多少条件が厳しくてもこの業界で働きたいというひとはたくさんいました。

極端な言い方をすると、業界の風習についていけない人が淘汰されて、適正な人数に収まっていたとも言えるのです。

でももうそれでは必要な人材を確保できないところまで来ていると思います。

アメリカやヨーロッパでは技術スタッフの労働時間や業務内容は契約で明確に定められていたりもします。

日本的な仕事の進めかたから見るとやりにくいところもあるのですが、日本でも少しずつそういうことを明確にしていかないといけないとは思います。

新しい人が業界に入りやすいように、そして経験や技術を持った人が流出しないような環境づくりを考えていかないといけないのです。

 

ただし難しいのは、全ては、少しでもいいモノを作りたいという、アーティストから技術スタッフ、制作スタッフみんなの思いから来ているのです。

時間や予算は無限にあるわけではなく、様々な条件な枠組みのなかで少しでもいいものを作りたいという思いが強ければ、どうしても働く条件としては悪くなってしまいます。

それを単純に、長時間労働と否定することはできませんが、いいものを作るためだから仕方がないと一概に認めてしまうことも違うと思います。

ではどうやってその折り合いをつけていくのか。

そういうことを真剣に考えていかないと行けない時代になったのだと思います。

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劇場が100以上ある街

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ちょっと写真が見にくいのですが、地図にマークしているのは全部劇場です。

端から端まで30分ほどで歩けるエリアに150ほどの、それもほとんどは定員200人以下の小劇場が建ち並んでいます。

日本ではありません。韓国のソウルにある「大学路」(テハンノ)という街です。

4年ほど前に仕事で韓国に行った時、丸一日オフ日がありました。

そのときに通訳さんに案内してもらったのがこの街でした。

 

ソウルに学生街から生まれた演劇の街があることは知っていたけれど、100以上の劇場があるというのはちょっと盛りすぎなんじゃないかと思っていました。

だけど実際に行ってみると聞いていた以上で。

街そのものの雰囲気は原宿とか青山みたいな感じ。

少しオシャレなカフェやショップが並んでいます。

そんな街のあちこちに劇場が散りばめられています。

 

劇場の多くは雑居ビルのなかにあるのですが、ビルの前にはそれぞれの劇場のチケットブースが出ていますし、あちこちの劇場のチラシを見ながらチケットが買えたり、当日券を安く買えるようなチケットセンターもあって、気軽にチケットを買って劇場に入れるようになっています。

また街中に演劇にまつわるパブリックな場所がたくさんあるのも印象的でした。
劇場のロビーがオープンカフェのようになっていたり、演劇資料の図書館があったり。
劇場と街の境目がゆるやかで、演劇と日常の距離が近いのはすごくステキだと思いました。

 

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昨日のブログで書いた「小劇場の出口」

そのひとつの形がこの街にはある気がするのです。

 

日本の小劇場は劇団が公演の主催になるケースがほとんど。

劇場を借り、スタッフを雇い、公演日程を決め、チラシを作り、チケットを販売します。

赤字になる公演も多いですが、黒字になったとしても主催の劇団に十分な利益が出ることはあまりありません。

 

ソウルの制作形態は逆で、劇場が公演を企画します。

劇団に制作費を払い公演を行います。

利益も取る代わりにリスクも劇場が追うのです。

なのでソウルの演劇シーンにおいては、日本の小劇場では一般的な「ノルマ」という概念はなく、逆に役者も少額とはいえギャラをもらって舞台に立つのが当たり前らしいです。(最近ではそうではないケースもちらほらあるそうですが)

 

人気がある作品は再演を繰り返したり、ロングラン公演になったりするケースも珍しくないとか。
実際にぼくが見た作品も10年ほど続くロングラン公演でした。

チケットは2000円くらい。

キャパ150くらいの劇場で、さすがに満員ではありませんでしたが、それでも100人ほどのお客さんは入っていたと思います。

自分が関わった作品があたってロングランになれば、それだけで生活していくことも十分に可能。

またそうした人気のある作品には、大きな劇場のプロデューサーなども頻繁に足を運ぶので、役者や演出家、脚本家などにとっては様々な形でステップアップするチャンスを得やすい環境があるそうです。

 

もちろん、いい話だけではなくて、そういう環境があだになって、コメディーやミュージカルなど一般受けする作品を作る団体が増えて、芸術性の高いものや前衛的なものを作ろうとする人たちが減っているという話も聞きました。

大学路自体が元々は韓国の民主化を目指す学生の声からいまのような街になったという経緯があるのですが、いまではそういう方向のエネルギーを街から感じることはありませんでしたる

 

一般の感覚だと、映画やテレビドラマに出ることや大きな劇場に進出することが俳優としてのステップアップのように思われるかもしれませんが、実際にキャパが200人程度の小さな劇場のほうが、作品としては魅力的なものが多いのです。

ただそれだと経営的に厳しいことが多く、日本では俳優として食っていくには映像か商業演劇に行くしかない状況。

けれどここでは小劇場という世界の中で職業俳優として生きていくロールモデルがあることは素晴らしいと思うのです。

 

ぼくは今まで日本(というか東京)の小劇場演劇は質、量ともに素晴らしいと思っていました。もちろん、今でもその考えは変わりませんが。
街のあちこちに小さな劇場がひっそりと息づいていて、時折その暗がりからエネルギーを持った人たちが現れてくる。
そんな東京という街と演劇との少し特別な関係が大好きです。

 

その一方で、舞台で生きていくという夢を見続けるために、たくさんの人がとてつもなく努力し続けているのも見て来ています。
小劇場の役者さんたちを見ていると、どうしてそんなにがんばれるのかと切ない気持ちになることもしょっちゅうあります。

ソウルの演劇事情が最高というわけではありません。

だけどそこには、東京で役者として生きたいと願う人たちがもっとハッピーになれるヒントがたくさんあるのではないか、大学路を歩きながらぼくはそんなことを考えていました。

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